未来の子どもたちのために、日本の原種(在来種)の種を守りませんか?

40年以上にわたり、日本の在来種の種を守り続けてこられた山澤清さん。
その山澤さんが、2025年3月11日を最後の期限として、 「引き継ぐ人がいなければ、すべての種を燃やす」と決断されたことを知り、私たちは動き出しました。

山澤さんが守ってきたのは、 日本全国から集められた在来種の種、約500〜600種類
これらの種は、戦前の日本で普通に食べられていた貴重なものばかりです。
しかし、現在ではスーパーに並ぶことも少なく、その存在自体が危機に瀕しています。

山澤さんの決意は、誰も責めることはできません。
ですが、 私たちが未来の子どもたちのことを本気で考えるなら、この種を燃やしてしまうことを防ぐ必要がある と感じています。

 


まずは、トマトの在来種を守ることから始めます!

現在、山澤さんが特に危惧されているのが トマトの在来種 です。
山澤さんは12月30日までに 「この種を守りたい1,000人が集まらなければ、トマトの在来種の種を燃やす」とおっしゃっています。

このトマトの在来種は、かつて日本中で食べられていた貴重なものです。
私たちは、この種を1,000人の方々に分け、栽培法や種の取り方を伝えることで、未来へと引き継いでいきたいと考えています。


私たちのプロジェクトにご賛同ください

このプロジェクトは、 未来の子どもたちが「日本の本来の味」を楽しむための一歩 です。
在来種の種を次世代に引き継ぎ、守り続けるために、多くの方々の力が必要です。

参加方法はとても簡単です:

  1. トマトの在来種の種を受け取り、育てる。
  2. 栽培法や種取りを学び、次の世代へつなぐ。
  3. 一緒に「種を守る文化」を未来へと広めていく。

 

 

この原種の種を40年間守り続けてきたのは、

ハーブ研究所スパール 山澤 清 さん

 

庄内に限らず日本各地から集まった在来種の野菜のタネを保存し、絶滅危惧種を守るためにシードバンクを個人で保有する山澤清。「庄内でちゃんと野菜を育てれば100万人の人口を食わせられる」と土地の豊かさを説く彼に、有機栽培でハーブを育て始めたきっかけから、シードバンクを保有する目的までを語ってもらった。

山形県の内陸部、村山市で生まれた山澤は、21歳の時に農業エンジニアとして庄内へやってきた。庄内地方の農家は近代化が進んでいなかったため、農薬や大型機械の指導をして生産性を高めることが目的だった。山澤はおちゃらけた口調で勢いよく農業を志した経緯を話し始める。

「庄内は遅れてたから、農家はいつも雑草との戦い。そこにピリオドを打つためにやってきて、たしかに雑草に困らない状況にはできた。だけども雑草が無くなるとともに生態系まで壊れちゃうことが5年ぐらいでわかったの。まずヨシキリっていうスズメ目の小さな鳥がいなくなった。赤トンボも。そしたら今度は、長男がアトピーになった。なんかおかしいと思ったのよ。それで農薬の指導をやめて、31歳で農業をやることにしたの。難しいよ、農業は。1年育てたって1回しか作物はできねぇから、35年続けてるけどこの体たらく。暇人じゃなきゃこんなの続けらんないよ」

全国から講演を依頼され、商品開発の注文を受ける山澤は決して暇人ではないが、軽快に口をついて言葉が出てくる。

 

 

 

残された時間はあとわずかです!

12月30日が、このトマトの在来種の種を守る期限です。
どうか、この取り組みに賛同し、行動を共にしてください。

種は未来そのものです。
私たち一人ひとりの手で、在来種の未来を守りましょう。

 

プロジェクト参加方法

 

こちらからお申し込みください。

後ほど、指定口座をお伝えします。

ご入金いただいた方から「在来種のトマトの種」を送らせていただきます。

先祖が代々大切に受け継いできた種を子孫へ繋いでいきましょう!

ご協力ありがとうございます。